グローバルナビゲーションへ

本文へ

ローカルナビゲーションへ

フッターへ



Home >  在宅診療の教科書 >  最期の瞬間よりも、そこまでの時間を大切に

最期の瞬間よりも、そこまでの時間を大切に


一般的に、「親の死に目に会えなかったのは不幸だ」「最期のひとときに立ち会えなかったことが心残りだ」と感じる人は多いようです。
たしかに、大切な人の最期に寄り添いたいという思いは、ごく自然な感情でしょう。

けれども現実には、どれだけ心を尽くしても「その瞬間」に立ち会うことは、実は非常に難しいのです。私たち医療者であっても、何百人もの看取りに関わってきた中で、“最後の一呼吸”を共にできたのは、ほんの十数例にすぎません。

多くの方は眠るように穏やかに息を引き取られます。夜中に息を引き取る方も多く、ご家族が気づかないまま最期を迎えることもあります。それは、苦しまず、静かに旅立てた証でもあります。

だからこそ、私たちが大切にしているのは「最期の一瞬」ではなく、「その時間までをどう過ごしたか」というプロセスです。

弱っていく時間に寄り添うこと

病院での看取りでは、急変から突然の別れというケースが少なくありません。一方、在宅医療では、ご本人の衰えを日々の中で感じながら、少しずつ別れの準備ができることが特徴です。

「少し食事が細くなった」
「いつもの冗談を言わなくなった」
「トイレに行くのが難しくなってきた」

そうした変化を家族と一緒に見守る時間には、かけがえのない意味があります。苦しみがなく、穏やかに日々を重ねられるこそ、最期のときが“突然”に感じられることもあるのです。

けれども、そのプロセスの中でたくさんの会話が交わされ、ご本人と心を通わせる時間があったはずです。それは、病院では得られない、在宅ならではの看取りの価値だと私たちは考えています。

「死に目」にとらわれすぎないで

家族の誰かが亡くなったとき、「最後に間に合わなかった」と自分を責める方は少なくありません。しかし、実際にはその瞬間に立ち会える確率はごくわずかです。それは“できなかった”のではなく、“自然なこと”なのです。

在宅での看取りの本質は、ご本人の「弱っていく過程」に丁寧に向き合い、心の準備を整え、そして"その人らしさ”を大切に見送ることだと思います。

最期の言葉を交わすことができなかったとしても、その前に交わした何気ない言葉や、そっと手を握った時間、黙ってそばにいたひとときに、すでに多くの想いが込められていたはずです。

命を受け継ぐための「時間」

看取りとは、別れの瞬間だけでなく、“命を受け継ぐための時間”でもあります。親の弱っていく姿を見て、何かを感じ取ったり、思いを新たにしたりすることで、次の世代へとその人の生き方が受け継がれていく。

「あのとき、こんな話をしてくれた」
「最期は自宅で、穏やかに過ごしていた」
そんな記憶が、残されたご家族にとって大きな力になるのです。

おわりに

“死に目に会えなかった”ことを悔やむのではなく、“その時間をどう過ごしたか”に目を向けてみてください。
私たちは、在宅医療を通じてその過程に寄り添い、ご本人とご家族が納得できる時間を積み重ねていくお手伝いをしています。

見送るとは、その人の人生をともに振り返り、その思いを胸に生きていくこと。
在宅医療は、そうした看取りのかたちを支える、大切な医療の一つです。